2013年05月16日

事務局だより【会報12号】

1.地下鉄マルハンボディ広告事件について
4月16日に裁判。裁判官が異動で変わりました。弁護士3名、原告1名出席。5月の連休までにボディ広告が撤去されることがより確実になり、次回期日を一応5月23日と決めましたが、市の撤去・廃止報告があり、5月15日付で訴えを取り下げました。
従って、この裁判は私たちの目的達成により終了しました。その成果は次号で。

2.大阪市体育館のパチンコ広告に監査請求!
  大阪市の教育、体育施設では、ギャンブル等広告を禁止するという原則があります。しかし、大阪市体育館で行われたアイススケート大会において、それが破られて広告が掲載されました。この件で住民監査請求を準備中です。
  大阪市民の方に請求権があります。請求者を募集中です。

3.カジノ・ギャンブル問題シンポジウム開催のお知らせ
学識者やギャンブル依存症当事者などが、大阪府市が誘致しようとするカジノ問題について考えます。井上もパネラーとして参加します。是非お越し下さい。
シンポジウム 『カジノは私たちを幸せにするか? くらしは 街は 経済は
大阪府・市がカジノにむけて予算化。国も合法化する動きやて??』
  日時:6月9日(日)午後1時30分~4時30分
  場所:アネックス・パル法円坂なにわのみやホール(大阪市中央区法円坂1-1-35A棟7階/
JR・地下鉄森ノ宮、地下鉄谷町4丁目から徒歩10分)
  参加協力費:500円

当会は財政上は専らカンパで成り立っています。
会費・カンパを下記口座までお願いします。

りそな銀行 北浜支店 普通0115719
口座名義:ギャンブル被害をなくす会


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【コラム】江戸時代のギャンブル取締り

~「大江戸とんでも法律集」(笛吹明生 中公新書クラレ 760円)より~

  江戸時代も博奕は禁止され、賭博場の提供は家主から五人組まで処罰された。碁、将棋、双六など一銭の賭けも禁止、富突きも禁止。子供のカルタやくじ引きもギャンブル化されて禁止となった。
  そして、違反者は追放、流罪から斬罪、磔、獄門まであった。なお、評定中に手錠を掛けて家主に預けることがよくあったが、手錠を外し博奕をして斬罪となった例もあり、ギャンブルは昔から止めにくいものであったことを示している。
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日本カジノ狂想カルタ

あ 愛知、秋田もカジノ誘致ケン?       
い 依存症・犯罪防ぐと「嘘」もいい      
う 馬にも賭けれるカジノにするの?      
え エンタテイメントで客寄せカジノ      
お 沖縄から北海道までカジノ観光       
か カジノ議員に献金応援メーカー       
き 九州カジノに韓国の敵あり         
く クアラルンプール東洋一カジノを超えたい  
け ゲーミング法案 基本構想(自民党)    
こ 高額顧客を狙います            
さ サイコロ使うクラップス          
し 慎太郎、徹はまずはカジノ法成立      
す スカイアイで死角なく監視         
せ ゼブラ手役のポーカーも (※1)     
そ ソウル、マニラに負けないカジノと     
た 大金を使い果たして破産・犯罪       
ち チップの張り方教えます 初心者さん    
つ ツーペア、ワンペア、ナッシング      
て ディーラーが多くの客に配る札       
と ドローポーカー 昔はストロート      
な ナイトクラブはカジノのサービス      
に 日本だけカジノがないとカジノコンサル   
ぬ 盗人の金さえカジノ巻き上げる       
ね 狙いは金持ち落とす金           
の ノウハウ集めカジノをつくれ(善)
は バカラは胴に張り子でやるバカら
ひ ビンゴに似てるキノゲーム
ふ ブラックジャックにポーカーゲーム
へ 下手では勝てない 上手でも損
ほ ポーカーフェイスは負けてもできる
ま マカオ名物 大小ゲーム
み 水で客呼ぶ砂漠のカジノ(ラスベガス)
む 無料(コンプ)でカジノ客の争奪戦 (※2)
め メガリゾートのメガカジノ
も モナコは貴族の「社交場」
や 病にはめる勝ちの快感
ゆ 夢洲でカジノという関西財界
よ 余欲たっぷり 欧州貴族
ら ラックで運ぶコインとチップ
り リゾートカジノのラスベガス
る ルーレット カジノ賭博の代名詞
れ レイズするステイするかとプレイヤー
ろ ローカルカジノで大衆化
わ ワンモア・カードとブリッジで
ゐ 維新橋下 カジノ好き
ゑ 益は大企業と利権族
を オッズ(支持率)はカジノ・オッズ
ん んーと期待しても地獄の殿堂
京 凶人生み世の中濫す

(※1)ゼブラ・ポーカーとは、色違いで交互に高低を決めたゼブラという手役だけが認められたドロー・ポーカーのこと。
(※2)コンプとは、カジノ(ホテル)が一定の賭客に行う無料サービスなど優遇のこと。
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バブルとギャンブル

1.アベノミクスなど新しい言葉で飾るも、日本の資本主義は「バブル循環」の病をより深くしている。実は、「バブル循環」が前世紀末から今の安倍内閣までの政治を動かしている。アベノミクスは安倍が創った政策でもなく、日米中心のバブル経済の中でその波を大きく掻いている姿に他ならない。実は、米国の経済と政治もこの世界的バブルを繰り返している。そして、グローバルスタンダード(世界標準)の名の下に米国基準で日本の経済が評価されるようになっているので、米国基準で日本の企業、株式、金利までが評価される(1971年以降、金本位でなくなってドル本位が強くなった)。
  そして、金融自由化、金融デリバティブ(金融派生商品)、投機マネー、変動相場などで、経済はバブル(泡沫的投機)となって泡のように膨らんだ状況だ。そして今後どうなるのかと賭ける投機=ギャンブル経済になっている。
  ギャンブルとは、冒険、投機のうち「危険な賭け」を特にいう。だとすれば日本の政府、日銀、経済界、投機家のしていることはギャンブルそのものである。公営賭博は地方自治体が必ず儲ける胴になり、客=市民に危険な賭けをさせる。そこに自らの賭けはない。しかし、経営の「赤字」のリスクはある。
  かつては不道徳とした賭け経済を、今は国が主導する。(その一方で安倍らは国家と権力への従順を「徳」とする道を教科書に入れようという。)だから、国民がバブルに走ることを是正指導するなどできる訳がない。安倍はアベノミクスという泡(虹のシャボン玉)を撒いている。それを買った国民が夢破れても、後のマツリの責任はとらない。にもかかわらず、シャボン玉に子供が飛びつくようにメディアは、景気(ケーキ)好きの甘党庶民に喧伝し、アベの人気を上げる。

2.バブルは、根拠のない熱狂であり、難しい理屈抜きの騒ぎである。そのバブルを飛ばす政治家は、理論や因果の説明を抜いて大衆を扇情する。この非理性的なポピュリズムは、討議民主主義、政治システムを破壊し、「お委せ民主主義」という言葉さえ言いたくない、独裁型、ワンマン政治を支え、決めゼリフばかりの劇場で大衆を化かす。その舞台、劇場をTV、商業誌などメディアが広告料に支えられて行う。(視聴率や読者は商業広告料を左右し、今や商業TVは100%、大手新聞でも読者からの金は販売店などの差引費用で3分の1も入ってこない。)
  討議と因果関係の詳しい説明は単純化した「結論」や「夢」を視聴したい大衆には除かれる。小泉では抵抗勢力たる郵政の敵役、そして大阪の橋下でいえば地方公務員を斬ることで「改革者」を演じさせる。そして、よくわからない不満を持つ「観客」の支持を得るのである。
  この大衆劇場では、客はその時々の夢を持たせてくれれば良いと決めている。座長(小泉、安倍、橋下・・・)らは「見え」を切ることを心掛けているし、役者としてのアドリブも上手いから人気は一定続くのである。(この点、福田、麻生や民主党総理は力不足であった。)

3.このバブル、いやギャンブル経済と政治は、TPPなどますます米国化を進め、その政治も日本は米国の最も西にある州政府のようになるといえばどうか。
  実は、改憲討議でも、米国占領軍の押しつけなどと改憲派はいうが、4.28サンフランシスコ条約発効(沖縄、小笠原、北方領土抜きの日本の「独立」)は米国が許容する範囲でのものであり、安倍総理の祖父の岸信介氏の政界復帰の記念日だからこそ、沖縄の人々を無視して万歳三唱をしたのである。
  本稿は、政治を批判する目的のものではないが、少なくともギャンブルについて良識を持ち、健全な経済、健全な産業(農業、工業、商業)こそ大切という視点を持つならば、政府トップからのギャンブルは止めてもらいたいと願う。 
(Y)

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バクチ・ギャンブル・ことわざ集

○あ 朝荒れ小博奕:朝の風雨とちょっとした博奕はたかが知れており心配することはない
(何を小博奕というか。毎日やる「ミニロト」や「ミニトト」か)
○い 一漁二博奕三女子:漁師が関心をもつのはこの3つ。
漁の次は?おなごより博奕の方が「魔力が強い」
○う うるめと博奕は一返し:うるめいわしと博奕は運が良ければ一度に取り戻せる。
(だが、あくまで負けた者の強がりである。依存症はここから始まる)
○え 縁起船乗り博奕打ち:船乗り、博奕打ちは縁起をかつぐことが多い。(先が見えない時代の言葉)
○お 女・博奕・酒の3Wが災いをもたらす(独):飲む打つ買うは災いの元(男中心の歓楽観)
○さ 3人の漁師と3人の博奕打と3人の猟師では9人の貧乏人(スペイン):
漁師、狩り、博奕打ちは儲けの少ない仕事という(安定しない)
○さ 酒と女と博奕は男の三道楽。酒と女と博奕には錠をおろせ:飲む・打つ・買う
○さ 三人博奕の一転び(=乞食):対等の博奕でも一人は大負けする(得する者が他を損させる)
○す 相撲の果ては喧嘩になり、博奕の果ては盗みになる:(昔からの戒め)
○は 博奕と相場は死んでも止まぬ:博奕・相場に手を出すと一生止められないこと。
(株、技機も含め政治家まで「博奕」が止められない。)
○は 博奕は色より三分濃し:博奕の「魅力」は女遊びを上回る
○は 博奕は勝てばしたく、負けてもまたしたし:博奕にはまり止められなくなること
○は 博奕、博労、生五十集(なまいさば):生五十集は魚商売で、ボロイ儲けもし、大損もする「商売」
○は 博奕、博労、野鉄砲:むやみな出まかせな言動のこと
○は 博奕は盗みの下地:博奕にふけって盗みに走ること
○は 博奕打ちが己が女房を誑(たら)すよう:甘い言葉で、大金が入るように言って欺すこと
○は 博奕打ちのちぎれ草履:博奕に大金を使っても草履も買えず、ちぎれたものを履いている。
○は 博奕は相対の盗み、相撲は相対の喧嘩:相対はおたがいの合意だが本質をつく
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ギャンブルと利権 ③『 競 輪 』

1.公営ギャンブルは、地方自治体は「収益事業」(金儲け)という財政的目的が本音で、「公益性」の自転車、小型自動車、モーターボート等の振興は「隠れ蓑の公共目的」である。
  本質は犯罪という賭博であるから、勤労意欲を害し、ギャンブル依存症をつくり、教育、環境、風紀など「百害あって一利なし」のところ、地方自治体は収益になる「一利」で「百害」を隠してきた。そして、その財政的貢献という収益も実は開催費用がかかり、業者は黒字なのに「赤字」となり、地方自治体は累積赤字を何億、何十億と重ねているところも多い。
公営ギャンブルの継続は「百害」の「非」を視ず、ギャンブル依存症や病的賭博を含めた自治体の財政上の損失さえ計算せず考えないのである。例えて言えば、自治体という体の健康を維持するために農業や製造業という基本の生業でなく、麻薬を生産販売するようなものである。その「クスリ」は「覚せい剤」か「睡眠剤」かは別として「時の自治体」の一部には「有効」に働いているようだが、本体を蝕み害していることははっきりしている。
  この公営ギャンブルを継続させているのは、利権という習慣になれた麻酔した体が欲する「依存症」である。いわば、ギャンブルは市民を依存症とするだけでなく、自治体も依存症にさせているのである。利権という甘いもの、夢を追うシビレ薬が誤れる選択をさせているといえる。

2.前回は、「競馬」を取り上げたが、「競輪」も利権の世界にある。
  1948年「自転車競技法」は自転車の改良等と地方財政増収を図るものだった。競馬が「馬匹の改良・馬事奨励」であることにならって、1946年来自転産業界を中心とし「自転車競技法案期成連盟」が結成された。「馬の代わりに自転車を」をいう単純なものだった。
  たしかに、戦前の自転車産業は日本の花形の輸出産業だった。そして、自転車需要の増大もあった。ギャンブルではない自転車競走そのものは古い歴史がある。金儲けを目指す産業界と地方自治体が、スポーツテーマをうまく利用したものだった。
  かくて1948年、自転車競技法が制定される。北九州の小倉で第1回の競輪が開かれ、1970万円を売り上げたという。第2回は大阪の住之江競輪、そして1950年には全国54の競輪場がつくられ、以来盛況を重ねた。そして「ノミ屋」や暴力団の介入、「八百長レース」も生まれ、「危険な場所」ともなった。
1959年9月のNHK番組は「競輪立国」を報じているが、車券販売所に我先にと手を突っ込む異常さから始まり、「競輪の本質は賭博・・・この公営賭博に魂を奪われた人がひしめいている・・・」と解説している。最後の方では競輪場の群集の中の母子を映し、「競輪がもたらした家庭悲劇の例は枚挙にいとまがありません。夫が競輪マニアで借金を重ねたあげく、家出してしまった家庭も沢山・・・この親子も・・・あてもなくお父さんを探しているのです」と語っていた。競馬より大衆的、庶民的なケイリンは、より低所得者層の収奪事業であった。地方自治体の“収益”とし、ギャンブルを“遊び”というデマゴギーが競輪の時代を支えていた。加えて、スポーツという美名も花を添えている。

3.法的には、競輪事業は①自転車その他の機械工業の振興、②体育・社会福祉など公益の増進、③地方財政の健全化を目的とし、平成22年現在48地方公共団体が46箇所で実施する(場外車券売場数は62箇所)。そして、年々売上高は減少し、現在は年間7千億円台である。しかもその売上の40%強は場外売上、27%は電話・インターネットである(平成21年度)。
競輪は、経済産業省が監督するが、運営体制は次表のとおりである。
12号.JPG

近年赤字化(ファンの高齢・減少化も大きい)の危機に「新生競輪を」という産業構造審議会の競輪小委員会の報告書は、「ファンをお客様とすべし」と強調している。収奪する客を大切にというのは今更ながらである。近時の競輪のTVまでのCMをみると、まさに「商売」のためにスポーツ性を売るイメージ広告である。これによって高齢者のみならず若者や女性をケイリンへというのであるが、自治体収益を税収という本来に求めず賭博のテラ銭に求め、自治体の有用な役割を教育・広報しないのは本末転倒であろう。

4.実は、このケイリンの宣伝役に下重暁子という元NHKアナウンサーの有名人をそのトップに据えることもしていた。その後、石黒克己毎日新聞社長も据える。その理事は、自転車振興会や各JRAの長、原子力安全基盤機構部長らである。そして、評議員には寄付をもらっているようなゴルフ、スポーツ、福祉団体、将棋連盟の代表もいる。
  売上は、①地方自治体、②運営団体と企業(競技場所有、貸与、関連事業)、③選手会と選手育成団体と選手賞金と開催関係の利益に使用される。そして、④関係産業への補助金となる。
  なお、社会福祉や文化事業にも使われて「公益性」も宣伝される。
  運営団体が官の天下り再就職先となっていることも否定できない。自治体もJRAらもギャンブルの弊害そのものについては黙して語らない。
  赤字のケイリンは結局、自治体から多大な財政支出をして閉鎖することになる。存続するとしても廃止するとしてもそのために公有地を使い、自治体職員を働かしていることも負担で「負債」は大きい。
<参考> 競輪については、(財)JKAのHPをみて下さい。
http://www.keirin-autorace.or.jp/
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【コラム】 確率に関わる数字慣用語

・一か八か(運を天に任せる、50%、バクチ用語で「1か罰か」の説、「丁半の半の字を一と八に区別した」との説も)
・四分六(4:6、40%v60%)
・五分五分(互角、50%)
・十中八九(たいてい、80~90%)
・九分九厘(ほとんど、99%?)
・九死に一生(かろうじて助かる、10%)
・千三つ(本当になるのは千のうち三、0.3%?)
・万一(めったにないこと、0.01%?)
・千載一遇(めったにない好機、0.1%?)
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ギャンブルと確率論(The theory of Probability)

井 上 善 雄

1.17世紀、シュバリエ・ト・メレがパスカルの原理で有名な数学者パスカルにサイコロを使った賭けについて相談した。
(1)最初の問題は、①1つのサイコロを4回投げ、1回でも6が出たら勝ちという賭けではかなり勝てた、②2つのサイコロを24回投げ、6のぞろ目が1回でも出たら勝ちという賭けでは大負けした、これは何故かというのである。当時「確率」という考え方はなかったが、パスカルは同じく数学者のフェルマーと手紙のやり取りもしつつ、この問題を解いた。そして確率論が発展したという。
   これは、「余事象の確率」の考え方で、上記①は「サイコロを4回投げて4回とも6が出なかったら負け」のことで、1回6分の1の確率で6が出るが、6が出ない確率は6分の5であるから、4回とも6の出ない確率はその4乗で0.52となり0.5より多く、賭けを重ねると必ず勝つことになる。次に②は、24回投げて一度も出ない確率を考えると、2個のサイコロの6のぞろ目ではない確率は36分の35で0.97となり、0.97の24乗は0.51、一度でも6のぞろ目のできる確率は0.49で0.5より小さく、賭けを重ねると必ず負けるということになる。
(2)さらに、2個のサイコロ問題の確率論に「期待値」の概念を加えて進歩させたのが、「賭けの中断問題」だった。
   これは「AとBが最終的に勝ったら総取りする賭けをしていたが中断した時、途中までの結果からどう賭け金を配分するか」というテーマである。
   AとBが各50万円を出し、コイントスで先に3勝した方が合計金100万円を総取りすることにした。Aが2勝、Bが1勝してA・Bの責任なく中断した場合に賭け(賞金)をどう分けるべきかという問題で、パスカルは「期待値」の概念を導入した。結局、AとBはそれぞれ勝つ確率を計算して、その確率で賞金を配分することと「賞金×確率」という期待値を配分することが同じだというのである。
   すると、もう1回コイントスをしてAが勝てばAの勝ちが確定し、もしBが勝てば両者2勝で勝率は50%になる。とすると、このまま続けるとAの勝率は4分の3、Bの勝率は4分の1だから、Aは75万円、Bは25万円をもらえばよいというのである。要するに、実績は踏まえ、将来は五分五分50%の勝率という。
   この考え方を一般化し、期待値とは「確率変数×確率」とした。これは、「確率を重みとした加重平均」ないし「確率変数の平均値」ともいえる。
   サイコロの目で期待値を計算すると、1個のサイコロの目の確率は全て6分の1である。サイコロの目(確率変数)は1~6で、その目ごとに6分の1の確率で目を出すと、1は6分の1だが2は6分の2、3は6分の3・・・となり、その合計は3.5となる。これがサイコロの目の「期待値」であり、最小の目の1と最大の目の6の平均値の3.5に等しい。
   同様に2個のサイコロの目の和を考えると、確率変数は2~12でこれらに36分の1から6分の1の確率が対応し、確率変数×確率を全て合計すると期待値は7となる。これは確率変数2~12の中央値に一致するというのである。
(3)これらの確率論は「数学的確率」と「統計的確率」を考え、回数を増やせば増やすほど統計的確率は数学的確率に近付くというもので、「大数の法則」という。
   なお、人が勘違いしやすいのは、例えばコイントスで表が連続10回出たから今度は裏というものである。実はこの11回目も確率は2分の1である。
(4)ギャンブルにとって重要なものは「期待値」である。すなわち、イカサマのない偶然だけで決まるギャンブルは、確率だけが全てが決まる。公営ギャンブルは「テラ銭」というべき控除率分があるため、例えばナンバーくじは45%配当率だからその分が購入者全体の賞金になるのである。カジノは日本にないが、ヨーロッパ方式の37の目に1つだけディーラー(店)側がとる場合は、97%余が配当される。競馬、競輪、競艇は75%配当で、パチンコは玉の交換率のみでいえば55~100%である。(但し、換金の際に別途差し引かれるし、商品は購入玉代よりかなり安物になる。)
   宝くじやサッカーBIGくじの当せん金の確率は300円券で3億円を当てるのは1000万分の1である(30億円を1ユニットとし、3億円が1枚出る仕組み)。
   ではこの1000万分の1というのは私たちにとってどういうレベルかを考えると驚くべき低いものだ。後記の参考書「確率はわかるとおもしろい」によると、日本人が一生のうちに交通事故で死亡する確率は200分の1、巨大隕石が地球に衝突し死亡する確率さえ2万分の1という。年間9000人の交通事故死は約1万分の1だが、人生70年前後であることを考えて200分の1としたものだし、恐竜を絶滅させた直径10kmの隕石ほどではないが直径1km以上のものは数十万年に一度あり、この場合、地球の4分の1以上が死ぬ。そして、それが今世紀中に墜ちる確率は5000分の1という米国研究者のデータを利用して2万分の1と高く見込んでいる。ちなみに、飛行機事故で死亡する確率も2万分の1という。それを1000万枚の券を何ユニットも売るから、数としては多数当せんしているように錯覚させているのである。

2.かくて、確率論を駆使して必勝法はあるかといえば、真面目な本なら「勝ち逃げ」しかないと断定している。「勝ち逃げ」とは、最初の数回で利益を得て、後は「深追い」をしないことであり、最初の数回で負けた時は損として諦めるということである。いわば、「最も負けを少なくする」方法であって、「必勝法」と言えば不当表現ないし詐欺本である。
パチンコでも、ギャンブルの開帳や富くじを売る胴元でもその必勝は確定している。長居をしたり継続してやる者は大数の法則により負けることが決まっているといえる。ギャンブルに関して食っていけるのは、胴元以外ではギャンブルの評論、予想屋、ライターである。
なお、一般のギャンブルでは事実上不可能だが、倍賭け法(マーチンゲール法)がある。100円、200円、400円・・・と賭けるものであり、論理的には100円が得られる。しかし、負けが20回続くと賭け金は約100億円となり、実際には不可能だし、ルーレットでさえチップが限られるので実行できない。


【参考書籍】
  ○「確率はわかるとおもしろい」   野口哲典   オーエス出版社
  ○「統計・確率のほんとうの使い道」   京極一樹   実業之日本社
  ○「ギャンブルに勝つための最強確率理論」   九条真人   実業之日本社
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公営ギャンブルと包括外部監査

 1999(平成11)年から始まった包括外部監査は、監査人が自由に監査テーマを選択し調査する。そして、公営ギャンブルについて監査したものも少なくない。
 整理すると次のようになる。
監査実施年度 監査対象(実施自治体)
1999(H11) オートレース(浜松市)
2000(H12) 競輪(富山市)
2001(H13) 競馬(栃木県)、競輪(茨城県、京都府、奈良県、熊本市)
2002(H14) 競輪(群馬県、千葉市、宇都宮市、四日市市、)、競艇(倉敷市)
2003(H15) 競輪(和歌山県、高松市)、オートレース(千葉県)
2004(H16) 競輪(高知市)
2005(H17) 競艇(福岡市)
2006(H18) 競馬(福山市)、競輪(川崎市)
2007(H19) なし
2008(H20) なし
2009(H21) 競艇(下関市)
2010(H22) 競輪(久留米市)
2011(H23) なし
2012(H24) なし
(これらは各自治体のHP等でアクセスできる「建前」だが、必ずしもそうなっていない。全国市民オンブズマン連絡会議の通信簿(イエローブック)を入手すれば過去のデータも含めてDVDにまとめられているので参考になる。)

 ところで、これらの監査報告のテーマとなること自体公営競技といわれる競馬、競輪、競艇、オートレースが必ずしも順調でなく「赤字化」しているか経営悪化していることを示している。
 これら20の監査報告を読むと、財務監査、行政財務の追認に終わっているものが多い。しかし、公営ギャンブルが及ぼす地方自治体における財政上の病気の存在自体はわかる。
 例えば、平成16年度の高知市の競輪事業についての監査報告書は、①累積10億円を超える赤字に対する市の改善計画書について根本的疑問を示し、ランニングコストを回収できない時点を撤退ラインとし、事業分析した上で事業の委託契約や人件費の不正も指摘していた。この指摘に対し、高知市は、17年度以降に具体的措置をどうとったのか「説明責任」があるのに、現行法上「措置義務」がないためか、その公表はほとんど見られない。結局、外部監査が活かされていないのである。
 外部監査制度でさえこのように活用されない実態であり、監査委員制度や議会でも是正されず、「収益事業」の美名の下、公営ギャンブルがズルズルと続けられている。


赤字でもすぐに止められぬ ギャンブルは 利権に巣喰う メシネタ多し
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ギャンブル「狂」の防止

名古屋市立大学人間文化研究科教員
  土 屋 勝 彦
 
現代日本にはびこるギャンブル狂想曲とも言うべき状況は、非常に嘆かわしい。
法的な規制がかからず、多くの市民が一攫千金を夢見てギャンブルに走り悲劇をもたらしている。
こうした射幸心をあおる産業は、個人の行動を法的に管理することは言論と行動の自由原理に反すると主張するだろう。
しかし、一部の日本人の感性および行動形式は、西欧的、個人主義的な「自己規制」「自己管理」という市民的な行動規範にしばられず、いわゆる「自由」のみを享受しようとしているものがある。
それでいいのだろうか。欧米におけるギャンブルは、個人の行動規範を前提にして、つまり「良識ある市民」という概念をもとに成立してきた。
今の日本は新自由主義をはじめ、欧米(とりわけアメリカ合衆国)の形式的な模倣をしている。「競争原理」や「効率主義」といった価値観は、本来のコミュニティを形成する共同体意識からはほど遠いが「善」とされてきたのである。ギャンブルも同様である。
「自由には責任が伴う」ということをギャンブルは教えない。ごく一部の者だけが儲かるという基本的なシステムを理解せず自分だけはその一部になりうるという、あわい夢を語るのみである。夢で終われば悲劇は起きないが、それが行動に出れば、間違いなく破綻し自己破産を導く。
まして、ギャンブルを国家や自治体が予算獲得の手段とするのは誤りというより「犯罪」と「詐欺」に限りなく近い。

私の専門である文学の世界を見てみると、作家たちのなかにはそうしたギャンブルにのめりこんで波瀾万丈の人生を送り、すばらしい作品を残した人もいる。ドストエフスキーもその一人である。
だからといって、ギャンブルを擁護する気になれないのは、それが個人の問題で済まないからだ。
社会問題化しているギャンブルの一大企業活動に対して、法的な規制をしていくのが「健全なる市民社会」のすべきことだろうと思う。
市民の自由を守ることは重要だが、責任ある個人を育てるには「公共圏」のモラルを高め、必要な法的規制も導入し市民の「自己崩壊」を未然に防ぐべきだろう。
ギャンブルが気楽なレジャーや遊びで済むならよいが、破綻を導く「誘惑」となれば、ことは重大である。安い市民の娯楽という時代はすでに過ぎ去ったのである。

その意味でこうした反ギャンブル運動を進める必要性を感じている。

posted by inoue at 00:00| Comment(0) | 会報12号 | 更新情報をチェックする
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