2012年09月01日

会報第4号発行によせて

○会報ニュース第4号ができました。
 3月10日創刊号(A4サイズ8頁)、5月1日第2号(同30頁)、
そして7月7日第3号(同6頁)に続く、9月1日第4号(同8頁)となり、
2ヶ月に一回発行していることになります。

○ 今回は千福先生の寄稿「依存症いろいろ」と、前回に引き続き
吉岡さんのイラストマンガもあります。
 私の稿はギャンブル批判の繰り返しで「耳にタコ」か「耳に障る」、
「目に立つ」どころか「目を通す気がしない」ものになっていないか心配です。
 そこでお願いですが、ギャンブル、ギャンブル被害に関するどんな御意見
でも結構ですので、会員の皆様の御投稿をお願いします。

○ 実はギャンブル被害といいながら会員には真面目な人が多く、
TVでの競馬風景や映画で知る以上に賭博体験はほとんどない方が多いと思います。
 大阪近辺では淀競馬、住之江競艇、西宮や奈良ケイリンなど体験できる
ところもありますので、実感ツアーも企画してみたいと思います。
参加御希望の方で日程・場所を設定しますのでメール、FAX、電話等で御連絡下さい。

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〒541-0041 大阪市中央区北浜一丁目2番2号
      北浜プロボノビル 平和法律事務所
  TEL:06-6202-5050/FAX:06-6202-5052
    弁護士  井 上 善 雄
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5紙の東京・大阪本社に要望書

要 望 書


前略 要件のみにて失礼します。
 貴紙の宝くじ、ナンバーくじの記事について止められるよう要望します。
 貴紙は、日刊紙上で宝くじ(全国自治宝くじ、数字選択式ロト6、ナンバーズ等)の当せん番号や当せん金を日常掲載されています。
 しかし、日常化させられている地方自治体の宝くじは、本来刑法187条で禁じられる富くじが例外的に「当せん金付証票法」により認められたものです。しかし、今や法目的を逸脱して続けられています。
昭和29年2月12日に国が閣議で止めると決定しており、本来廃止されて然るべきものです。しかるに、宝くじが継続し、今や総務省官僚と宝くじ利権に絡む人・事業によって拡大されているのです。宝くじは貧しい人々からの「税金」と評される収奪をし、ギャンブル依存症を招き、年金、生活保護費からも収益を得ていることは御存知でしょうか。
 200万人はいるギャンブル依存症の人の中には、競馬、競輪、競艇ほどではないにせよ、宝くじ依存症の人がいるのです。毎日行われるナンバーくじは日常化されています。
 私たちは、客観的には1000万人に1人というような1等当せん金に惑わされ、ほとんど戻ってこない(全ての当せん金を含めても購入者に還元されるのは40~45%)のに、その「夢」を駅や路上占拠までして売っている商法に不当表示や違反の実態を視ています。
 そして、厚生労働省の委託調査でも宝くじを含むギャンブル依存症が報告され、その対策と治療が求められる時代になっているのに、日本のギャンブル事業は無配慮です。その中でも宝くじは自治体が発売主で責任が重いのに拡大宣伝にお金を使うのみで「病気」には配慮していないのです。
 メディアも広告から始まり、日常化を目指す宝くじ戦略の中で天気予報や震災データ情報並みの紙面固定欄を拡げていることは、全く無配慮であります。宝くじの売上げは、その約40%が自治体に入りますが、15%が宝くじ事業者の収益になる仕組みです。そして総務省の役人の天下り先である宝くじ協会などを通して多くの団体に撒かれるお金は、実は宝くじの本質を隠す「厚化粧」であります。
 貴紙が、ギャンブルに対し、正しい社会への木鐸、公正・公平な社会への指針を示されることを要望し、少なくともギャンブルの「幇助者」となられることを止められるよう切に要望いたします。
 なお、貴社のこの点に対する対応について御回答もお願いいたします。
草々

 平成24年 5月 9日
             「ギャンブル依存症を生む公営・公認ギャンブルをなくす会」
                大阪市中央区北浜一丁目2番2号 北浜プロボノビル
                平和法律事務所気付 事務局長 弁護士 井上 善雄
                 TEL:06-6202-5050/FAX:06-6202-5052
posted by inoue at 14:59| Comment(0) | 会報4号 | 更新情報をチェックする

スポーツと賭博、そしてオリンピックについて

1. サッカーくじ(toto)をスポーツ振興くじとして導入しようとして説明された資料では、ヨーロッパのサッカー対象くじの存在が大きな理由とされた。1923年にドイツでフットボールトート、1976年にイタリアでトトカルチョ、トトゴール、同年スウェーデンでストリークティプセット、1948年にスペインでキニエラ、1985年にイギリスでフットボールプールズ、1994円にフランスでロト・フットが発売されており、いずれもサッカーくじの前例とされた。

   なお、アメリカではネバダ州ではバスケットボール、アメリカンフットボールの「バーレイ・カード」というくじがあるが、他州では連邦法で競馬などのレース以外のスポーツによる賭博は禁止されている。
   スポーツの野球、相撲などでヤクザ(暴力団)の賭博がされているし、公営賭博競技でもヤミ券発売の「ノミ行為」は行われている。法で禁じても行われて闇の資金になるなら、合法化して国が把握し税収とした方がまだマシという考えでサッカーくじを推進した。

  このサッカーくじ(toto)は、総売上の47%が払戻となり、15%程度が販売関係経費となり、国と地方公共団体に各11.7%(計23.4%)が配分され、残る11.7%がスポーツ団体に配分される。結局、スポーツ振興というも国や自治体の収入源となるのである。仮にサッカーを応援するつもりでtotoを買っても、11.7%の内のさらにその一部がサッカー関係になるにすぎない。もちろんサッカー関係にも利権グループはいるから、サッカー選手にいく訳ではない。サッカーへのボランタリータックス(自発的な税)と考える者には、騙された思いが強くて不思議でない。このサッカーくじのスポーツ団体への配分は、プロ、アマ、生涯スポーツ、学校スポーツ、スポーツ国際交流など分け前を求めるグループの配分評議会の綱引きによるが、この評議員から運営に関する委員まで相当の給与があり、天下りも含め透明性が問われるところである。

 それにしても、マフィアやヤクザの向こうを張っての公営賭博が、スポーツの世界に賭博を持ち込む是非を教育・文化視点も入れて真剣に論ずべきであった。

   スポーツに金を出す「志」は賭けにしないと生まれず、また賭博と自発的納税を同レベルで論ずるのはあまりにも無理がある。税金から金を出すだけの公益性がないなら、ギャンブル賭け金を廻す理由もない。

2. オリンピックも金次第になりつつある。それは強化投資で選手に金メダルを競わせることであり、今やクーベルタン氏の「参加することに意義がある」というのは建前だけである。現状はメダル数が国威発揚の国家主義となっているのに疑問の声は少ない。

  貧しい国の貧しい人々はスポーツへの機会もなく、オリンピック参加やメダルなど初めから除外されている。オリンピック競技を見ると、水泳などは体育施設の差が歴然としており、強化費用を国や企業が出すかどうかで選手になれる範囲も決まる。サッカーやバレーボールも日本は企業支援と人気スポーツ化して強く盛んになった。中国などでメダルによって「年金」を出すなどの国家支援スポーツになったものは強い。

  結局、スポーツも金次第ということになれば綺麗事を言っても賭け事と共通する。資本主義・商業主義からコマーシャル手段となってスポーツ選手が金を得るのは当然となり、プロとアマの区別もなくなっている。選手もオリンピックのように国別での選手数が制限されると個人技で出場資格を得るためには国籍変更をしても参加したいという選手と、その有能選手を得ようという国家政府も生まれる。国家主義のオリンピックは再考すべきでないかという声も強い。

  筆者は、文化・教育と共に体育・スポーツの振興を重視する者であるが、それが金儲け主義になることは賛成できない。国家主義と商業主義がオリンピックまでのスポーツ界を席巻している状況を当然視するのと、賭けをしてスポーツに自発的に金を出していると主張するのは通底しているように思うのは筆者だけの心配だろうか。               
(I)

posted by inoue at 12:58| Comment(0) | 会報4号 | 更新情報をチェックする

ギャンブルの法則③~⑤

ギャンブルの法則③ 「のめり込み」
  これまでギャンブルの数学的法則として大数の法則、期待値を述べました。この自然科学、数学的法則から、例えば宝くじは一等の出た店で買おうとそうでない店で買おうと当選確率は全く変わらないのです。しかし、店に一等の当選が出た店と大きく宣伝されると何となくその店が良いように思います。宝くじの一つ数字ナンバーのくじも同じで、当選ナンバーを当てる本は「詐欺本」なのです。ただ、○○神社にお参りすれば幸運が開けるといった「おまじない本」なのだから詐欺にはならないと警察は見ているのです。(但し、厳密には本当に当たると思わせている点で不当表示として取締対象にはなるのですが。)

  ギャンブルにはこのようなまじない、占い、ゲン担ぎ、錯覚がつきもので、寺社の占いくじのレベルはゲームですから問題もないでしょうが、この錯覚を利用した詐術の罪が加わるのです。もちろん、ギャンブル依存症という病人を生めば健康を害し、社会負担を増やす罪もあります。

  結局、ギャンブルの本質は「のめり込み」によって慣習化させ、依存させる魔性の法則があるのです。
  かくて賭博は人を本来の勤労と自立・共助の社会に敵対させるのです。スポーツゲームを含むゲームにものめり込みの弊害があります。しかし、程度はギャンブルより低いのです。これは人がゲーム、さらにギャンブルに依存する医科学的法則にもよります。ギャンブルで脳内にドーパミン等を発生させ、人を興奮させ、のめり込ませ、慣習化し、依存させるのはこれも科学的法則です。
ギャンブルによる「のめり込み」社会的現象は、特定の立場での社会科学の評価に過ぎず、人の行動上の自然法則ではないと考えるなら甘い認識でしょう。

ギャンブルの法則④ 「錯覚」
  宝くじの番号がオール1(ex.11組111111番)を買った場合と12組419210番(よいくじ1等?)を買った場合とでは、当選確率は同じです。しかし、同じ数字の当たりくじはまず出ません。宝くじの1等は1000万本に1本の仕組みで、ぞろ目の数字は1~9の9通りとしても100万本に1本もありません。月1回のくじでも1年12回以下、100年1200回以下、1万年12万回以下だから、80万年以上続けないと100%ならない確率です。1000万本に1本は、80万年毎月1枚買えば当たる?! しかし、不揃いの番号での当選は毎回発生しているからもっと当選するような気になる。これが「錯覚」です。

  1枚300円だと30億円分1000万枚の宝くじを買えば当たるが、これでは夢ではなく現実に16億5000万円を寄付したのと同じです。(但し、税務上の控除もないし、“感謝状”の一つもない。)それは賭博だからです。(発行券を全て買うなど現実ではあり得ない想定だが、制定上はそうなっている。)
要するにギャンブルは自己だけは当選する(=幸福)という「錯覚」のうえに成り立っているのです。人はその錯覚法則をわかっていても止められないのです。

ギャンブルの法則⑤ 「不当表示」
  ギャンブル勧誘広告は不当表示が多い。totoやBIGの「1口300円だけを買って6億円を当てた人がいるんだって!」という広告コピーも、そんなものかと思う人がいます。しかし、よく考えて下さい。1口300円、すなわち1枚だけを買って6億円を当てたことをどうして主催者は確認できるのでしょうか。主催者は6億円の当せん金受領者の名を知ることになるが、過去の購入経験を逐一回答する義務がある訳でも、その真否を確認できる訳もありません。要するに、「6億円はくじを買わなきゃ当たらない」と同じ広告屋の得手勝手なコピーなのであり、証拠のない宣伝表示です。消費者・購入者のための正しい広告コピーは「何万円買っても6億円はほとんど当たらない」「くじを買ったらほぼ損をする」というものです。公営ギャンブルが庶民を錯覚で誘惑するような大々的宣伝表示をするのは誤りです。「億万長者が一番多く出た売場」という広告は、会の抗議で「億万長者が出た売場」に変えられたが、「空くじが多く出る売場」「いつも買えば半分以上損する売場」と正しく書くべきです。真実を言えずウソを言う商売は「詐欺商法」です。
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賭博の○○学

井上 善雄


1.賭博の歴史学                      
  賭博は「人類が火を用いるようになった頃と同じほど古い時代から」始まったという説(J・Pジョネス)もあります。占いや単なる選択上の賭けは別として、お金や物を賭けるというのは「私有財産」という観念が成立し、金や物を個人が処分するということが可能になったからでしょう。もしあらゆる物が共有されているならば、ゲームはあっても財貨をやりとりする賭博は成立しがたいと思えるからです。確かに偶然による勝ち負けと賭けられる財貨、そしてその私有と処分のルールが必要で、原始共同体社会ではそのような賭博の余地もないと考えられるからです。私有財産制が生まれ(それはまず道具の私有と思われます)、産物、収得物、集団の内部での格差や分業、リーダーの世襲化などが進むと、支配する側は支配される側を奴隷としたり、物を支配する者はこれを財貨として自由に処分できるようになったと考えられます。

 ローマ時代にコロッセオで奴隷をライオンと闘わせてローマ市民が賭博したといわれます。それ以前からの長い歴史の中でも賭け事はあったでしょう。余欲のある財貨は賭けられました。賭けるのは財貨だけでなかったようです。地位や身分、さらには自己の身体さえ賭けた歴史もあると伝えられています。
 賭博の規制は何故始まったのでしょうか。

 「賭」と「占」は分離されない時代もあったようです。しかし、支配層と被支配層がはっきりする時代に入ると、支配者は自らは賭けで遊んでも、被支配者には賭けをすることを禁じます。実は天皇にせよ貴族にせよ、鎌倉以来の武士支配者にせよ、自らは賭けで財貨をやりとりする遊びを行いますが、日本で言えば律令以来、人々と役人には賭博を禁止し続けたのです。古今東西を問わず、世界の古代からの資料はそれを明らかにしています。

 自らは賭博に興ずるも被支配者らに賭博を禁ずるのは、第1にそれが支配秩序の破壊につながるからです。支配者に奉仕・納税する支配体制、社会体制の維持のためです。従って、賭博の禁止は奈良時代だけでなく平安時代の検非違使の命から明治時代の太政官布告、新律綱領、そして刑法へと引き継がれます。その理由は市民が射倖心におぼれ、勤労精神を損なうようになるというものです。

  天平勝宝6(754)年の布令に「官吏や百姓が憲法をないがしろにし、・・・みだらになって、子は父に従わず、ついに家業を亡ぼし、孝行の道を損なう」とか「博奕を好むと、事を廃し、業を棄て、寝食を忘れ、夜日の別なく脂燭をともし・・・」(文選)とあるのは、古くから支配機構、収税の妨げになるというものです。また、吾妻鏡には「雙六、四一半の勝負は博奕の根本として奉公を怠る初」とあります。

  賭博はそれ故に刑罰の対象とされ、禁じられたのです。

  刑法では、賭博・富くじはその国家の支配体制・社会秩序を濫すものとしての位置づけがはっきりしていました。

  しかし、国家が賭博や富くじを禁止した以上、自ら行うことは抑制されました。それが戦争資金を捻出するために庶民の「たんす預金」にまで眼を付けたのが、戦時中昭和20年の「勝札」という富くじ販売でした。それが戦後の財政窮迫と弱体産業の殖産興業名目での宝くじや競馬、競輪、競艇など「ギャンブルレース」に継承されました。しかし、もはやギャンブルを必要とする「戦後ではない」のです。

  今、私達は国家や政治、政業本位の賭博規制を考え直す時期にあります。いうまでもなくそれは一般市民の視点と市民の良識に支えられる視点です。資本主義は自由主義の名の下、投資、投機の自由を一定認めます。しかし、今日、自由なモノの売買でさえ良き商品、良き取引、良き結果の視点からコントロールされます。商人はともかく投資、投機の危険な取引には本来庶民を引き込むべきではありません。これが正しい自由主義経済です。

  「経世済民」を略した経済が「世の中を正しく動かし、民を助けること」であるなら、無責任(限定責任)の企業(会社)が無限定の責任を負う市民と対等に取引をすることを当然視してはいけないのです。人を殺したり、危機に落とし入れた企業が生き残り、人が死んでしまうことは本来は許されないのです(かつて、団体が人を死傷させると、団体の長自らも同等の報いを受けるという法制もありましたが、このような応報主義は今やとられていません)。

  少し脱線しましたが、賭博・富くじも現代の一般市民の富を組織的に奪うこと、一部の弱い人からの収奪であること、収奪される人をギャンブル依存症に落とし入れるものであること、その家族、近親、近縁者に害を及ぼしていることを重視すべきです。

公共のために必要な資金は公平な税金の収入で支えるべきです。その産業の企業利益や人の所得に応じた税収で支えられるべきです。ギャンブルの収益は計算するも害毒は計算しないのは誤っています。収益は代替方法があるが依存症など精神疾患は身体傷害で回復困難であることなど、既に数多く指摘されるところです。

2.賭博の社会学
  賭博は、一般市民対象には互換性のある本当の小さな遊びの世界以外には許されるべきでありません。賭博は、①客の正常人(依存症等の危険のない人)証明、②可処分所得により制限すること、③賭け金の清浄資金証明、④その収益の全面公共利益還元等の条件を考えると不可能です。

  カジノは結局、外国人を中心にして①~③を無視し、カジノ関係者の金儲けの手段をつくるものです。
  私達は今、麻薬・覚醒剤などの薬物の禁止、タバコ・酒の嗜好品の人とT・P・O(時・場・機会)の厳しい制限に向かっています。それは国家権力がやることだから仕方がないのではなく、市民社会の利益、感覚、市民の互換性ある価値尺度から必要だという点にあります。

  特別の軍人らの戦意高揚のための覚醒剤(ヒロポン)は当時の国家政策には有用でも、市民社会では有害です。酒・タバコも他人に害を与えないようにし、その害が福祉社会の下で間接的に他人への責任転嫁にならないよう節制が求められています。

  賭博の参加者に、①依存症に陥らない人の証明、②その浪費で生活に支障を与えない証明、③その賭け金が盗んだり人を騙した金でないことの証明を求めると賭博は成立しないのに、これらの害を容認することはヤクザが金を集めるのと同じです。ヤクザは社会を濫すために金を集めるから刑法で禁止するのに対し、公営賭博は社会・公共のために金を集めると説明しても賭博が成り立つ仕組みには正しい社会秩序もなく、その金の出所の多くは不正常なのです。仮に働いて得た収入でも家族を泣かせる使い方になります。

3.賭博の倫理学
  賭博を開帳し、金を儲ける人の反社会性は前述しました。また賭博の客もその賭け金の正しい出所、使い方からすれば反社会的です。ただ、客は開帳者により「捕らわれた人々」であり、社会上の問題という視方もあります。

  たしかに正しい視方、行動ができる自由人を前提とすれば、賭博の客もゲームです。しかし、自由に正しく賭博を楽しむ権利を正しく行使できたり、現にしている人がいるでしょうか。

  政府は自ら公営賭博を許して勧奨しており、賭博の客の真の自由度など全く調査しません。それどころかギャンブル依存症さえ調査不足で、賭博による社会的損失(国損失を含む)さえ検討していないのです。議員の中にもギャンブル企業の利益に結びついた者がいて、継続・拡大に動く者がいます。このような国家の反倫理性、国会議員から地方の賭博関係者の反倫理性こそ問われるべきです。
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図書紹介コーナー

○成美子著「パチンコ業界報告書」(1998.3.25 晩聲社)
  パチンコ店経営者が雑誌等に発表していた文をまとめたもの。店側の本音が率直に述べられる。客観的レポートではなく(題名から期待した私の購入目的は外れたが)、偽造カード問題から始まり、ホール(店)の経営視点がよく判り、裏話も多い。パチンカーの実態記事は多いが、ギャンブル依存症については「口にチャック」している。それでも金儲け、日当の客と収益確保(これも金儲け)をめぐって店の闘いがあり、客にいかに犯罪が多く、新手段が生まれ、店も出玉調整や適当に遊ばせる技を使っているかがわかる。パチンコ店とは、客が遊技をする場という一方で、店が客を賭博で遊ばせて金を儲ける場なのだ。

  パチンコの出玉は換金できる特殊景品の換金率を定めていること、1玉4.5円で売る店が換金商品で1玉2.5円でと出玉を10割にすると客に逃げられる。そこで出玉を14~5割にする工夫をして客が100個の玉450円で買い、150個の玉にして換金しても1玉2.5円だから約263円になり利益が出て取り戻すようにしているとはっきり述べている。しかし、タバコの交換は1個4円と警察に指導されて600円になり損をすると“苦情”もいう。要するにパチンコは店の方針で勝率が決められ、客に逃げられない程度に遊ばせて設けているところなのである。だから遊技場は賭博ではないと言いたいのだろう。

  しかし、上手下手のわかっている囲碁・将棋でも金を賭けると賭博になるというのが判例である。客が負ける筈のパチンコでも賭博であることは否定できない。             
(Y)
posted by inoue at 12:45| Comment(0) | 会報4号 | 更新情報をチェックする

依存症いろいろ

センプククリニック
千 福 貞 博


まず問題です。
次の3つのうちで、一番止(や)めにくいものは何でしょうか?
①煙草(たばこ)、②お酒、③ギャンブル

いろいろな考え方があるかと思います。私(町医者)が外来をしていて、止めてもらうのがとても簡単になったのは、①の「煙草」(正式には「ニコチン依存症」といいます)です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、1)ニコチン・テープを貼ることができるようになっていますし、2)内服薬で煙草が欲しくなくなる「チャンピックスレジスタードマーク(健康保険適応あり)」という便利なものもあります。実は、私も6年前に、このニコチン・テープを使って禁煙しました。禁煙補助剤のなかった昔に比べると、嘘のように簡単に止められたのを覚えています。

さらに、現在の社会情勢が、「もう煙草を吸う時代は終わったよ」と言わんばかりに禁煙時代に突入しています。喫煙がいかに身体に悪いか、マスコミ報道や学校教育も援護射撃をしています。これも煙草を止めやすくなった大きな理由でしょう。

さて、②の「お酒」はどうでしょうか。これは、今でも結構やっかいです。当院に相談に来られた場合は、アルコール依存症の専門の医師(精神科医)にお願いするようにしています。専門家の先生は「嫌酒剤」をうまく使われているようです。また、どうしても精神的に弱い面があり、禁酒してもすぐにアルコールに手を出してしまう方の場合は、「断酒会」という同志会に入ってもらったりしているようです。

専門治療施設がありながら、禁酒は禁煙よりかなり難しいと思われます。その理由は、アルコール依存症という病気に対しての、社会の認知や受け入れが低いことにあります。煙草は身体に害のあること、と今は誰もが知っています。しかし、アルコール依存の恐ろしさを示す報道は少なく、一般の人も「今日はめでたい日なのだから、一杯ぐらい良いだろう」などと言って、アルコール依存の人に酒を勧めたりしています。実は、その1滴のアルコールが、地獄への扉をまた開けてしまうのです。(鉄則:アルコール依存の人には、冗談でも、ほんのわずかでも酒を勧めてはいけません)

次は③のギャンブルです。「お小遣いで楽しむぐらい、良いじゃないか」と誰もが思っています。副流煙で周囲に害を及ぼすわけでもなし、飲酒運転で事故をすることでもないし、「お金がなくなったら、まさか、他人に借りてまではしないだろう」と判断されていると思います。

ギャンブル中毒(正式な医学病名:Pathological Gambling=病的賭博、DSM-Ⅳ-TRによる)の報道は滅多に見ませんし、ギャンブル中毒の恐ろしさは学校教育でもされていないと思います。逆に、スパイ映画や何かで、タキシードを着てスマートに扱われるのがカジノのシーンです。しかし、医師になって臨床をしていると、ギャンブル中毒で生活が大変になっている人を多く診ることになります。糖尿病や高血圧に使う大切な医療費までも、ギャンブルにつぎ込むのです。そして、このギャンブル中毒になりますと、いろいろと悪知恵を働かすようになっていきます。犯罪の一歩手前ぐらいのようなことは、簡単にしていくようです。

最初の頃は、大抵、嘘をついて家族や友人からお金を借ります。周囲の人も、「普通に教育を受けて数学も知っているから、期待値の考えから儲かるはずがないことに気がついて、すぐ止めるだろう。しばらくは騙されてお金を貸してやろう」と考えてしまいがちです。ところが、ここからが普通の人と依存症(中毒者)との違いです。普通の人というのは、余った生活時間で、余ったお金で遊ぶわけですが、依存症の人は、植木等の歌のように『わかっちゃいるけど、止められない』になってくるのです。

もっと続けましょう、これまでに医療界のどこかに行って、「○○先生のおかげで、私のギャンブル中毒がきれいに治りました」などというのを聞いたことはありません。つまり、現在の医学の力で何とかなるようなものではないようなのです。情けない話ですが、当院へ「このギャンブル中毒だ」と気づかれて相談されても、この私には治療の手段もなく、適切な紹介先もないのです。

初めの問題の答えです。もうおわかりと思いますが、患者にとって治療補助薬や治療施設のある①②と違って、一番止めにくいのは、どう考えても③ギャンブルである、になるかと思います。ギャンブル依存症に対しては、節度を守って、中毒にならないように「予防」に努めるより他にないようです。
posted by inoue at 12:43| Comment(0) | 会報4号 | 更新情報をチェックする
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