2016年01月29日

コラム

フランシスコ・ザビエルの手紙
 1949年に日本に来たフランシスコ・ザビエルは、日本人が名誉を重んじることを評価したあと、「人々は賭博を一切しません。賭博をする人たちは他人の物を欲しがるので、そのあげく盗人になると考え、たいへん不名誉なことだと思っているのです」と書いている。
イスパニア人のザビエルは、インドから鹿児島に上陸してキリスト教を伝えた宣教師で、大内義隆や大友宗麟の保護を受けて2年間日本に滞在した。
1949~1951年当時の日本は戦国時代で、各地の領主は「法度」で賭博を厳しく取り締まっていた。逆に言えば、賭博が流行していたともいえる。したがって、ザビエルが知ったのは上級武士の建前の世界だったともいえる。

カルタの伝来
 ポルトガルは、インド西岸のゴアを拠点とし、マカオを中継して日本を目指した。ポルトガル船は1543年に種子島に接岸し、ザビエルに続いて1562年より長崎に入港するようになった。以降、カルタが日本に伝来し、1597年には長宗我部元親の掟書で「博奕、カルタ、賭勝負を禁ず」とした文書がある。
 しかし、実は「倭寇」と呼ばれる中国人と日本人の貿易・海賊集団が16~17世紀に出現していた。この船員らがカルタ賭博を興じていた可能性が高い。
 ヨーロッパのプレイングカードは14世紀後半に欧州中に広まり、15~16世紀にはインド・東南アジアに伝播していたことは想像に難くない。現存する日本最古のカルタは、裏面に「三池住貞次」と書かれた1枚の札が残るのみである。これは「天正かるた」と呼ばれているが、天正年間(1573~1592)に作られたというわけではなく、慶長(1596~1615)の頃のものと推察されている。カルタは欧州のギャンブルカードの「紙札」だった。


posted by inoue at 00:00| Comment(0) | 会報41号 | 更新情報をチェックする
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